人口減少に伴う人手不足は、多くの企業の経営課題として重くのしかかって久しい。これまでも企業は、採用強化やITを活用した業務の効率化を図ってきたが、労働人口の減少は避けられない社会課題であり、既存の取組みだけでは解決が難しくなりつつある。こうした環境下で新たな選択肢として台頭しているのが、生成AIを基盤としたAIエージェントである。AIエージェントは単なるチャットボットや定型業務の自動化ツールを超え、自律的な判断と行動能力を持つ。そのため、企業で不足する人的リソースを補完する労働力としての期待が高まり始めた。
様々な領域で活用が見込まれるAIエージェントだが、とりわけ顧客体験の領域においては、個々の顧客に最適化された対応を24時間365日、かつ大規模に展開できる可能性を秘めている。また、顧客接点における効率化や品質向上は売上や顧客満足度に影響するため、投資対効果が見えやすい。こうした理由から、顧客接点業務は多くの企業にとってAIエージェント導入の入り口となる可能性が高い。この領域で先行するのがSalesforceである。
Salesforceは2024年10月に「Agentforce」を発表した。AgentforceはチャットボットやアシスタントとなるCopilotではなく、業務や顧客の状況を理解し、自律的に計画・推論し、アクションの実行までを行う。同社はAgentforceを「デジタル労働力」と位置づけ、24時間365日、自律的に活動するAIエージェントと人間が協働する世界観を描いている。Agentforceは数か月ごとにメジャーリリースを行い、2025年10月に米国で開催されたDreamforceで「Agentforce 360」を発表した。Agentforce 360は、AIエージェントを構築・管理する基盤となるAgentforce 360Platform上で、Customer 360アプリや各種データ、メタデータ等を連携させ、信頼性の高いAIエージェントを実現するものである。AIエージェントの活用においては、システム間の分断や文脈の欠如、ガバナンスの不備等が課題となり、十分にその価値を引き出せないことがある。Agentforce 360はアプリケーションやデータ基盤、インターフェース、制御機能等のあらゆるレイヤーを単一のプラットフォームで管理できる点に強みがある。
また、Agentforce 360のリリースに伴い、従来のCustomer 360アプリでは名称変更や機能拡充等、多くのアップデートが施された。名称については、これまで業務領域ごとに「Sales Cloud」や「Service Cloud」のように「Cloud」と付けていたものが、「Agentforce Sales」や「Agentforce Service」と「Agentforce」が冠すようになった。機能面では、AIエージェントが見込み顧客の発掘やナーチャリング、パーソナライズされたキャンペーンの作成等を自律的に実行し、人間の介在を減らす方向で拡充されている。自律的に稼働するAIエージェントは、リソースをかけたくない非生産的な作業を代行し、顧客心理を重視したコミュニケーションや高度な提案といった付加価値の高い作業にリソースを集中させることを可能にする。
さらに、同社はDreamforceにおいて、AIエージェントと人間が協働し、人間の可能性を拡大する新しい働き方として「Agentic Enterprise」を提唱した。同社はこれまで顧客接点業務における先進的なテクノロジーを提供してきたが、Agentforceによりフロントオフィスのみならずバックオフィスも含めた企業変革をリードする方針が明確になった。Customer 360アプリのリブランディングもAIエージェントに注力する姿勢の表れと言える。
AIエージェントの可能性に期待が高まる一方で、その恩恵を享受できる企業とそうでない企業の間で、格差が拡大するリスクにも注意が必要である。AIエージェントを含むAI技術の効果は、企業が保有するデータの質と量、またそれらを活用できる基盤の整備状況に大きく依存する。データ蓄積や統合が不十分であれば、AIの判断精度や自律性を十分に引き出すことは難しく、導入効果は限定的となる。
現状、デジタル化への投資余力がある大企業や、先進的な取り組みに積極的な企業において、AI活用やAIエージェントの実証が先行している。他方、中堅・中小企業の状況は多様である。クラウドサービスの普及により初期投資を抑えたデジタル化を進める企業が増えている一方で、顧客データの管理が分散していたり、業務プロセスのデジタル化が進んでいない企業も存在する。特に、紙ベースの業務運用が残る企業や、個別の担当者に依存した属人的な業務運用を抱える企業においては、AIエージェントを効果的に活用するための土台が整っていない場合がある。
このままでは、AIエージェントを導入して生産性を高める企業と、導入の土台が整わない企業との間で、競争力の差が拡大する可能性がある。本来、AIエージェントによる効率化が最も必要とされるのは、採用力や賃金競争力に制約があり、人手不足が経営を圧迫している企業であるにもかかわらず、そうした企業ほどデジタル化やデータ整備といった導入の土台を整える余力が乏しい傾向がある。結果として、既にデジタル化が進んでいる企業がさらに生産性を高める一方、準備が整わない企業は従来の手法に依存せざるを得ず、格差が固定化・拡大する恐れがある。このギャップが放置されれば、産業全体の生産性向上が阻害され、経済的・社会的な課題を引き起こす可能性がある。
このギャップを解消するためにAIエージェントを提供する事業者は、まず先行企業でユースケースを確立し、そこで得た技術的知見や組織体制、ガイドライン等のAIエージェント活用で必要な要素を体系化し、多くの企業で適用可能な仕組み作りを迅速に行う必要がある。また、それらを受け入れる企業側も、AIエージェントを遠い未来の話として先送りするのではなく、自社の業務プロセスのどこに適用できるか、どのような準備が必要かを今から検討していくべきである。また、公的機関による補助金や業界団体による業界特有のベストプラクティスの公開、企業同士で情報を共有するコミュニティ形成等も有効だろう。
AIエージェントは、深刻な人手不足を解決する有効な手段となり得るが、それによって生じる格差の拡大は避けなければならない。現時点では、AIエージェントは登場したばかりで、この格差は顕在化していない。近い将来、この格差が大きな社会問題となる前に、ギャップを拡大させない行動を産業界全体で講じることが求められよう。
(宮村優作)
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●生成AIがもたらすデータ分析の次段階 ~市場動向編~
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