矢野経済研究所 ICT・金融ユニット

アナリストオピニオン
2008.10.23

SaaS事業の本質とは

SaaS、PaaS、クラウド…

ここ最近、オンデマンド絡みのキーワードが急激に目立つようになっている。昨年はSaaSが最も目立っていたが、すでに陰りが出始めており、企業の興味の対象はPaaSやHaaS、クラウド・コンピューティングといったものに移りつつあるようだ。IT担当としては、やれやれ、とため息をつきたくなることもあるが、このスピード感はIT産業の宿命ともいえ、日々勉強していくしかしょうがない。

さて、少々愚痴っぽくなってしまったが、これだけキーワードが高回転すると、用語に対する定義が曖昧なまま許容せざるを得ない場面も出てくる。ここでいえば、ASPとSaaSの違いがそれであり、気がつけばASPもSaaSもうやむやなまま同じ意味の用語、ということで使われているようだ。
この二つに用語の違いについては諸説さまざまであるが、今回は、ここでひとつの切り口を提示したい。

「SaaSはマルチテナント、ASPはシングルテナント」という区分けは本当に正しい?

SaaSとASPの違いを語るときに、よく見かけるのは、「SaaSはマルチテナント、ASPはシングルテナント」という区分けである。この説明自体は、SaaS事業者自身が語っていることでもあるため、尊重されるものであろうし、また、一般的にも認知されつつあるといえる。

しかし、これには根本的に無理があるともいえる。なぜなら、従来からあるASPサービスにおいても、SaaS同様にマルチテナントで提供されているものが多数あるためである。これについては、ASP事業者の方からも、「ASPも(SaaSと同様)、複数ユーザーがネットワークを経由しシステムを共有することで、低価格でのサービス提供を可能にしているため、本質的にマルチテナントである」と指摘を受けたことがあり、私自身「もっともだ」と勉強させられた記憶がある。

SaaSの存在意義-ASPになくSaaSにあるものとは

では、SaaSは何が“特別”なのか。ひとことでいえば、「統合型アプリケーションのマルチテナント方式によるASP提供がSaaSである」ということであろう。
事実、カスタマイズ性や複雑性に対する技術的な課題などから、マルチテナントで提供するASPサービスは、何らかの機能に特化したものがほとんどであった。勤怠管理、給与計算、グループウェアといったものである。
一方、複雑な機能を内包するERPやCRMといった統合型アプリケーションにおいては、パッケージ提供が通常であった。会計上の理由などでサーバーを保有したくないといった一部のユーザーがASP提供をベンダーに要求することがあるが、この場合、技術的にシングルテナント方式を採用せざるを得ないことがほとんどだったのである。
そこへ登場したのがSaaSという概念である。SaaSは、従来困難だった複雑かつカスタマイズ性を要求される統合型アプリケーションをマルチテナントで提供することに成功した。これにより、従来ではコスト面から大手企業しか使えなかったようなソフトウェアを中堅・中小でも低価格で利用可能なものとした。ここに業務アプリケーションとしてのSaaSの意義があると筆者は考えている。

図表 ASPとSaaSの違い
ASPとSaaSの違い

しかし、こうした議論も、もはやほとんど意味を持たないであろう。冒頭で書いた通り、現在、クラウド・コンピューティングをはじめ、さまざまな概念が生み出され、まさに、カテゴライズが行なわれている最中といえる。その中においては、SaaSとASPの違いはわずかな意味しか持ち得ないだろう。

SaaS市場の急速な成長は果たして“本物”か

当社では、2008年6月~9月にかけてCRMアプリケーション市場に関する調査を行なった。その結果の概要はリリースを参照して欲しいが、CRM市場においてSaaS型(オンデマンド型と同義、ASPも含む)の伸びが目立っており、当社では、2009年にはSaaS型が自社運用型を上回ると予測している。

ところが、いろいろな業界関係者と意見交換していると、「伸びているのはそうだろうが、それって本物なの?」という不安感を抱いている人が多い。
この背景にあるのは、おそらく「いったい、SaaSは何を変えたのか?」という疑問に対する答えがいまひとつ不明瞭だからではないかと思う。いまひとつ、これは何かを変える!という手ごたえが感じられない、という印象を持っているのではないだろうか。

たとえば、「SaaSは、イニシャルコストを抑えたり、情報システムに詳しい人材が不要であったりというメリットがあり、中小企業でも導入できる」といわれるが、これはASPでも同様のことがいえる。
製品機能という面では、CRMアプリケーションはコモディティー化が進んでおり、少なくともパッケージ製品を超える機能があるともいえない。そのほか、ネットワーク回線などのインフラが進んだため広がったともいわれる。
もちろんそれはそうなのだろうが、その切り口ではSaaSは主でなく従だ。Web関連技術の進展も同様であり、それはSaaSを有利にしたのだろうが、SaaSが何かを変えたわけではない。

こうして考えていくと、どうもSaaSの特殊性・ユニーク性というものは次々と消されていき、残るのは上述した、[パッケージ製品なみの機能・カスタイマイズ性]と[オンデマンド提供]の掛け合わせた領域にあるブレイクスルーしか、一見すると残らないように思えるのである。

「SaaSは何も変えない?」-答えはNO

さて、それではSaaSは何も変えない、といえるのか。
その問いに対しては、個人的には“No”である。すなわち、何かを変える、と感じている。ただし、それを感じさせるのは、SaaSの技術的な違いといったことではない。ASPとSaaSの最大の違いは、実はおそらくその規模にある。

現在、ソフトウェア・ベンダーのSaaSに対する認識は、(1)商品提供の一形態、というものと、(2)イノベーションに値する事業、の2つに分かれているといえる。まさにイノベーションのジレンマそのものということになるが、すでにASPという類似概念が存在するため、現在のところ「(1)商品提供の一形態」と捉えるベンダー方が多いようだ。
しかし、SaaSを商品提供の一形態として捉えてしまうと、ビジネスモデルの違いから事業を継続的に成立させ続けることが困難になるかもしれない。

サービスラインかイノベーションか

なぜならば、SaaSはいわば装置産業であり、薄利多売を目指すものだからである。つまり、パッケージ+SIといった形で利益を確保してきた従来のモデルとは、事業構造上、相容れないものである可能性が高いのである。無論、以前のASPも同様に装置産業であったが、いま、SaaSは過去のASPとは異なり、格段に規模を大きくしている。

ちなみに装置産業とは水道事業、石油化学産業、医薬品製造業や飲料製造業などのことを指す。飲料を例にとれば、ビール1缶 数百円で楽しめるのは、大規模なビール製造プラントという装置を抱えた工場において、大量生産が行なわれ、かつ、大量に消費されるためであるし、水道でいえば、浄水場が大量処理し、大量に消費されるからこそ成立している。

SaaS事業も同様に、事業者が大規模なデータセンターを整備し、大量の情報処理が可能で、大量に利用されるからこそ、低価格で業務アプリケーションを提供できるのである。水道管が光回線に該当し、水道管の先に浄水場があるように、光回線の先にはデータセンターがあるという構図である。しかも、SaaSはインターネットという低額な配送コストで世界中に顧客を持つことができる。このスケール感は、ASPといわれていた時代にはなかったことではないだろうか。

量産型産業・装置産業を支える“単純な事実”を忘れるべきではない

日本でもSIerがSaaSやPaaSビジネスに動いているが、忘れてはいけないのが、大量生産を支えるのは、大量消費という単純な事実である。量産型産業の特徴は、とにもかくにも大量消費(多品種であろうが単品種であろうが)を前提をしなければ生き残っていけない点にあり、当然であるが、リスキーなビジネスになることは間違いない。

また、装置産業は、設備投資に一定規模の投資が必要になることから、一般的に参入障壁が高い産業といえる。しかし、ITの世界では、例えばストレージ機器の価格が劇的に低価格化するなどといったことが起きており、一般の装置産業に比べて異変が起きやすい環境にあるともいえる。ひょっとすると、一晩明けたらせっかく築いた障壁がなくなっていた、ということにもなりかねない。
この辺も事業戦略を検討する上でリスク要因としなければならない点であろう。

ビジネスである以上、常にリスクはついてまわることになる。クラウド・コンピューティングにおいて日本のIT企業がどのような役割を担うのか現在のところ明確ではないが、世界へむけてイノベーションにチャレンジする企業が誕生することを期待したい

忌部佳史

忌部 佳史(インベ ヨシフミ) 理事研究員
市場環境は大胆に変化しています。その変化にどう対応していくか、何をマーケティングの課題とすべきか、企業により選択は様々です。技術動向、経済情勢など俯瞰した視野と現場の生の声に耳を傾け、未来を示していけるよう挑んでいきます。

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