20~30年前だろうか、情報がヒト・モノ・カネに並ぶ経営資源と呼ばれるようになったとき、他の経営資源に比して決定的に異なるメリットとされていたのが “使っても減らない”ということだった。一度デジタル化してしまえば、何度コピーしても劣化せず、わずかなコストで再利用できてしまう。それが“情報”であった。企業内でサーバに保存しておけば、100人がアクセスしようが1万人だろうがコストは変わらずに価値だけが増えていく。いわば使い倒すほどにトクをする資源、それが情報であった。再利用可能な資源、もしくは価値増殖可能な資源と言い換えてもいいのかもしれない。
しかし現在、同じ「情報」の枠組みであっても、生成AIはそうとは言えない。AIは情報をそのまま出力するのではなく、ユーザが質問をするたびに、毎回、巨大なGPU群が演算を行い、20年前とは比較にならない桁違いに膨大な電力を消費している。つまり、生成AI時代に突入し、情報とは、使う度にコストが発生する「加工が必要な原材料」に変質したといえる。
同じことを言いかえれば、2025年まではデータベースにストックし、それを再利用する時代だったのに対し、2026年以降はストックした情報の再利用にとどまらず、エネルギーを変換して加工するものへと、産業の性質が変化したとみなすことができる。
いったい、いつから変質してしまったのか。思い起こせばクラウドがその契機なのかもしれない。
20年前、情報は一度作れば減らない資産だった。自社サーバを抱えることは、いわば情報の印刷機を自前で持つようなもので、使えば使うほど単位あたりのコストが下がる性質をもっていた。しかしクラウドの登場は、情報の性質を資産からサービスへと変えてしまった。「使っても減らない」はずの情報に、あえて「ユーザ数(アカウント数)」や「期間」でキャップをし、データそのものは自社の情報にもかかわらず、自由なアクセスやコピーを制限するものにしてしまったのである。無論、企業はSaaSの利用によりイニシャルやメンテナンスコストから逃れるメリットを得たのだが、引き換えに「使えば使うほど金がかかる」というフロー型のコスト構造を自ら受け入れてしまった。
そして今、目の当たりにしているのは、情報を電力と半導体で加工して付加価値を作る「“製造業型”情報産業」の登場である。「使っても減らない」というのがデジタルの最大の強みだったのに、製造業型情報産業では、電気エネルギーを激しく消費する物理的限界に早くも直面し、足踏みしている。
現在、あらゆるソフトウェアベンダがAIを自らのサービスに組み込もうと躍起になっているが、パッケージソフトウェアをコピペして配布するのと、AIサービスを機能させるのとはコスト構造として「情報産業」と「製造業」くらい違いがある。OpenAIは資金回収できるかも分からないほどのデータセンター投資を迫られるなか、収益性に疑問が持たれている。国内のSaaSベンダやSIerも、生成AIではマネタイズできているとは言い難い。果たしてこの状態で、継続的にユーザにサービス提供し続けられるのだろうか。普通に考えれば、ベンダ側はAI機能を追加有料オプションとして切り出したり、推論コストを抑えるために低コストの生成AIに切り替えたりといった対策を迫られる。同様にユーザ側は、自社にとって生成AIは価値あるものなのか見極めが問われ、“ちょっと便利”だった程度のものは切り捨てざるを得なくなるだろう。
俯瞰してみれば、紙の利用料を減らすなど、クリーンな印象の高かったIT産業であったが、気が付けば製造業的な様相を色濃くしつつある。生成AIの登場は、ユーザ側に仕事のやり方など大きな変革を迫るものであったが、同時に、情報産業の変質も招くものとして捉えていく必要があるといえる。
(忌部佳史)
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