矢野経済研究所 ICT・金融ユニット

アナリストオピニオン
2021.06.03

eパレット(e-Palette)は2020年代の『どこでもドア』である

カーナビか、贅沢品だな

筆者には「ああ、あの時ああすればよかったのに~」「こうすればよかったな~」と思い返して、思わず「ああっ」と口に出してしまいそうな時がある。あるいは「今の自分があの時の自分と入れ替わったのならば、こうしてやれるのに」と思うことがある。
いくつもある「あの時」なのであるが、ここにきてよく思い起こすあの時がある。

「カーナビか、贅沢品だな」と言われて、返す言葉に窮した。何も言い返せなかった。
1990年代中頃の話である。筆者はある自動車関連団体の勉強会に参加しており、自己紹介する機会があった。当時、筆者には走行制御系(エンジン、ブレーキ、ステアリングなど)まで見ていく力が備わっておらず、日常的に触れやすいカーナビ、カーオーディオなどの情報系(インパネ周辺)だけを調査していた。そこで「カーナビ市場を調査しております」と告げたところ、ある参加者から「カーナビか、贅沢品だな」とスパッと切られたのだ。
筆者は言い返せなかった。うつむいてしまった。いや、性格からいってヘラヘラ笑っていただけかもしれない。言い返せなかったのには理由がある。

再度言うが、1990年代中頃の話である。
トヨタは1991年にはGMを抜いて世界トップの座に駆け上っていた。だが、それと同時に日本国内のバブル経済がはじけ飛んでいた。90年、91年でバブル経済が終りを告げて、日本の自動車産業は明らかに減速し始めていた。国内の四輪車生産と販売は、それぞれ1990年の1,349万台と778万台をピークとして、大きく落ち込んでいた。
こうした状況下における勉強会では、いかにクルマのコストを下げるか、いかに世界各地でのビジネスに乗り出していくべきか、つまりはこれからの日本自動車産業全体をどうすればいいのか…等について激論が交わされていたのである。コストを下げるために重要なのは、最低限の「走る・曲がる・止まる」を実行するエンジン、ブレーキ、ステアリングといった制御系システムである。議論は制御系に集中していた。
しかしその中で、筆者は情報系の、それも世界中でほぼ日本でしか市場を築いていない国内だけのガラパゴス製品「カーナビ」だけを調査していたのである。さらにカーナビは当時まだ高級品は30万円もする高額商品だった。自動車市場そのものの普及を語るにはやや浮いた話に思われても無理はない(注:自動車のシステムは大きく「走る・曲がる・止まるを実行する制御系」と「インフォテインメントの情報系」とに2分される)。
これからの自動車産業全体をどうすればいいのかを語るには、自分の知識の幅はあまりにも狭くて語るべきことがないと思った。あるいは勢いに押されてしまった。いくつもの理由から反発する言葉を発することができなかった。「カーナビか、贅沢品だな」という言葉に体のどこかを貫かれた気がした。

【カーナビ】

カーナビは「未来に続く『どこでもドア』」か

だが、実は1990年代中頃にも、カーナビを語るべき言葉は「情報系」「高額商品」「贅沢品」だけではなかったのである。もう一つの別な視点があった。それは「未来に続く『どこでもドア』」である。実は筆者はそれを当時の取材の際に耳にしていた。

当時、あるカーナビメーカを取材した時、「これからの自動車は情報通信との融合化が大きく進む。その部分をカーナビがつかさどる。自動車が外部の通信とつながるようになると、ユーザから見た自動車のイメージが大きく変わっていく」という声を聞いていた。そして、その未来の自動車のイメージは「必要な時にすぐに現れ、思いのままに移動できる『筋斗雲』」であり、他に「人馬一体」とか「ナイトライダー」とか、さらには「『どこでもドア』のようになる」ということであった。

当時はピンとこなかったが、このイメージは、まるで現在のMaaSであり、自動運転カーを表現する言葉のようだ。
「必要な時にすぐに現れ、思いのままに移動できる」というのは、まさにMaaSそのものではないか。スマホでUberを呼び出せば筋斗雲のようにやってくる、少々時間はかかるけれど。またカーシェアリングの説明文には「必要な時に自由にクルマを使える新しい移動手段である」と書いてあるではないか。
もっともそれができるようになるまでには、2008年以降にスマートフォン(appleの「iPhone」)が世界中で普及し、それでMaaSカーの予約・決済ができるようになるまで待たなくてはならなかったのだが…。

「人馬一体」「ナイトライダー」に至っては、ドライバと車両とが音声認識でやりとりできる最新のHMIそのものの表現であり、また「ナイトライダー」の車両は自動運転カーである。
2021年現在、カーナビは通信機能を持ち外部のインターネットとつながり、多様なアプリを車室内に持ち込むことを可能としている。カーナビを通じて話す音声認識の相手は、まるで人格を持つ友人のように対応してくれる車載AIだ。そして、カメラやレーダでとらえた自動運転のための周辺画像を、カーナビディスプレイで表示してくれる。

ところが「『どこでもドア』のようになる」というのは、現在の自動車のアプリの中に見つけることはできない。しかし、カーナビがこうしたMaaS、音声認識HMI、自動運転という自動車の未来につながる情報系の走りであったことを考えると、「カーナビこそが未来の自動車の姿につながる扉(=どこでもドア)だった」と考えられるのではないか。

筋斗雲のイメージを具現化したトヨタのエコシステム

もしも現在の筆者が1990年代中頃のその勉強会にタイムスリップできたならば、「カーナビか、贅沢品だな」と言われた後に「ちょっと待ってください」と言い返せただろう。そして、さらに一言言ってやる。
「ちょっと待ってください。たしかに今のカーナビは高額商品だけれども、やがて低価格化していく。何よりカーナビは情報通信と融合することで、自動車を閉じられた世界から、外部の世界へとつなげる窓口になれると思います。カーナビこそが未来の自動車の姿につながる扉(=どこでもドア)になれると思います」
言い返すことで、勉強会の参加メンバーの意識を変化させて別の思考をもたらし、多少は世の中の役に立てたのではないか。もっとも言い返したからと言って、25年近く前の参加者を納得させられたかは不明であるが…。

それよりも、未来につなげるという点においてすごいのはトヨタである。トヨタはこの25年の間に、当時のイメージだった『筋斗雲』から名付けたKINTOという名前のモビリティサービスのブランドを世界30か国で立ち上げている。さらに2019年には国内で、同じKINTOという名前の車のサブスクリプションサービスの会社を立ち上げた。
トヨタは間違いなく1990年代から「必要な時にすぐに現れ、思いのままに移動できる『筋斗雲』」をイメージして、25年間ずっと思い続け、ついには具現化したのだ。その構想力と実行力のすごさ。
たまに思い出して、「ああ、あの時ああすればよかったのに~」「こうすればよかったな~」と身もだえる筆者と比べても仕方ない。

もし比較するのならばappleの「iPhone」ではないか。当初はソニーの携帯音楽プレーヤ「ウォークマン」を追いこすべく作られた携帯音楽プレーヤ「iPod」であった。そして、その機能をすべて吸収したのが2007年に発売された同社のスマートフォン「iPhone」である。
「iPhone」におけるappleのすごさは、iTunesやAppStoreという、音楽やアプリの流通プラットフォームを構築し、それらソフトウェアのビジネスモデルをスマートフォン端末に付け足した点にある。アイフォンが発売されて10年以上たつが、ソフトウェアとハードウェアの垣根を越えてビジネスモデルを構築できている企業は少ない。インターネットITベンダはハードウェアが、ハードウェアメーカはソフトウェアが分からないからだ。
しかし、appleはソフトウェアの世界と、ハードウェアの世界をつなぐことで、新たなエコシステムを生み出し、それがその後の同社の大きな飛躍を可能にした。

トヨタも同じく、カーナビという情報系ハードウェアの『どこでもドア』を開き、そこにMaaSカーの予約・決済や音声認識HMI、自動運転、KINTOのようなグローバルなモビリティサービスといったソフトウェアサービスの世界に自由に出入りできるエコシステムを生み出している。

【ドア】

eパレットは2020年代の『どこでもドア』である

2021年、トヨタは新たな『どこでもドア』を開こうとしている。
それは同社がCES 2018で発表した、初の自動運転機能を持つMaaSサービス専用EV「eパレット(e-Palette)」である。

【図表:トヨタ自動車 e-Palette(eパレット)】

【図表:トヨタ自動車 e-Palette(eパレット)】

出所:「東京モーターショー2019」にて撮影

eパレットの特徴は、自動運転機能を持つEVプラットフォームを採用した「動力部分」(シャシーモジュール。制御系システム部分)の上に、サービス用途に応じて最適に設計できる「荷室空間」(サービスモジュール。情報系システム部分)が乗るという2層構造にある。
上半身となるサービスモジュールは、下半身のシャシーモジュールから簡単に取り外すことが可能だ。シャシーモジュールはさまざまなサービスモジュールの動力として活用することができる。用途に応じて、上半身は着せ替え人形のようにさまざまなタイプのボディを、下記のように用意でき、その多様なアプリが大きな利益を生むようになっていく。

  • 乗用車として車室内の変化を楽しむ
  • オフィス用にデスクやモニター、通信環境などを完備
  • 観光地向けの移動販売用
  • ホテル仕様のベッドを備えた部屋
  • 会議仕様
  • 宅配仕様
  • 無人移動図書館
  • 診療仕様
  • 震災や台風など被災地における避難施設や診療用途

などなど

これまでにもトヨタはカーナビという情報系ハードウェアの『どこでもドア』を開き、そこに多様なソフトウェアサービスの世界に自由に出入りできるエコシステムを生み出してきた。だが、それはあくまで「走る・曲がる・止まるの制御系システム」を主役とする自動車の付加価値的なポジションであった。
だが、eパレットにおいては、下半身(走る・曲がる・止まるの制御系システム)は基本性能としてほぼ固定されており、上半身となるサービスモジュール(情報系システム)こそがエコシステムの主役になる。上半身の情報系が主役となってビジネスを創出するのだ。

カーナビという情報系ハードウェアの『どこでもドア』はガラパゴスといわれながらも、2021年になり、eパレットにおいて「情報系サービスモジュールがエコシステムを生み出す」という新たなモビリティの姿につながったのだ。
もしも現在の筆者が1990年代中頃のその勉強会にタイムスリップできたならば、「カーナビか、贅沢品だな」と言われた後に「ちょっと待ってください」と言い返すだろう。そして、さらに一言言ってやる。
「ちょっと待ってください。たしかにカーナビはもしかすると日本国内だけのガラパゴス的商品で終わってしまうかもしれないけれど、そこで培われた技術やイメージこそが、情報系が自動車の主役になる時代を切り開いていくのです」と。

もっともeパレットは2020年のオリパラ会場内で走行させ、2023年くらいから公道で走る予定と聞いていたが、現時点ではオリパラがどうなるのかすら不明である。
またeパレットのような上半身・下半身分離型自動運転機能を持つMaaSサービス専用EVは、ダイムラー「Vision URBANETI」、フォルクスワーゲン「Volkswagen POD」など海外OEMからも発表されており、競合は多いかもしれない。
トヨタは、appleのiPhoneのように全世界の市場において、自動車というハードウェアビジネスの上に多様な独自のソフトウェアサービス・ビジネスを構築できるであろうか。完敗はないが、完勝はできないかもしれない。

それでも、eパレットが自動車産業の先端部分で、あるいはIT産業との業際部分で、未来のモビリティ産業をめぐっての最も激しい戦いに挑める資格を持つツールであることは間違いない。
eパレットは2020年代の『どこでもドア』である。

森健一郎

関連リンク

■レポートサマリー
車載ソフトウェア市場に関する調査を実施(2020年)
位置・地図情報関連市場に関する調査を実施(2020年)
世界MaaS関連企業の戦略動向に関する調査を実施(2019年)
国内MaaS市場に関する調査を実施(2018年)
国内コネクテッドカー関連市場に関する調査を実施(2017年)
eコクピット世界市場に関する調査を実施(2016年)

■アナリストオピニオン
世界自動車産業はソフトウェアの戦いの時代に
CASE時代の「人馬一体」―モビリティとは生きることなのだ―
AIにできない仕事「MaaSとアイドル AI比較」
GAFA対抗プラットフォーム戦略としての自動車
「僕は嫌だ!」が開くMaaSの未来

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森 健一郎(モリ ケンイチロウ) 主席研究員
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